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日々感じたことをつらつらと。

日本へ帰ってきました

タイトル通り。4月に日本へ帰ってきました。

 

中米に行ったのが2016年の冬。帰ってきたのが2020年の春。
2年で帰るつもりだったのが、気付いたら3年以上経っていました。

行く前と行った後、変わった事はちょっと語学力なんかよりも
世界一大好きなもの(スペイン語)を自分の中で見つけられたこと。

海外に行く前のほうが、自分の中の棚卸をたくさんできていて
これから、少しづつこの経験で学んだ事を整理していければと思います。

考える癖って、こんなにも、なくなるものなのね。

 

 

常にハートマークを飛ばすにはどうしたら良いのか

職場にDちゃんっていう子がいる。Dちゃんはまだ若のにすごい仕事もできる。それでもって人当たりも良くて、Que hermoso!!(素敵!)が口癖。いつもその子の周りにはハートマークが飛んでいるような、とにかく良い子。おまけに超かわいい。もし今生まれ変われるよ誰になりたい?って聞かれたら即答でDちゃんって答えるレベル。

話を聞いている感じお家柄も良さそうで素敵なご家族の元で育ったのが容易に想像つく子なんだけど、日本にこんな子っているか?とふと思った。で、確かに愛想の良い子はたくさんいるけど周りにハートが飛んでいる子っていないよなあって。(少なくとも私は会った事ない)一般的なイメージの通り、やっぱりメキシコって驚くほど陽気な人が多くて、文化の差って言っちゃえば一言で終わる話なんだけど。

ラテン地域って、これもイメージ通りで家族愛が半端じゃない。自分の子どもに「mi amor(私の愛)」とか、「mi vida(私の人生)」とか呼びかけで普通に使う。ラテンの大好きな文化な一つだけど、この呼びかけを今みんなが使うのは、みんなが子供時代に両親からそう呼ばれていたから。両親がそう呼んでたのは、そのまた両親がみんなのパパママの事をそう呼びかけていたから。この考えで先を辿っていくと、じゃあなんでその文化になったのか?っていう疑問に到達するんだけど、それは一旦置いておいて。(こういう勉強割とまじでしたい、文化人類学とかになるの?分かる人教えてください) 

って考えたときに、やっぱり家庭環境って子どものその後の人生を左右するもので、幼少期の生活や習慣がその後の子どもの人格を形成する。

そう思うと、世の中のお父さんお母さんって本当に尊敬なのです。

(こういうの、もっと勉強したいなあ。)

大人と子供の境目

先日、友人の紹介でとある学生さんの留学相談を受ける機会があった。
中南米へ留学したいのだがどの国が良いのか等等のお話し。
学生さんって良いなあ自由だなあとか思いつつ相談に乗っていたんですが、だんだん彼の留学の目的があやふやな事に気づく。
彼自身、俺は目標を持っている!!と考えていて口にはしているけど、話を聞けば内容は非常にふらふら。とりあえずを留学をして、海外の友人を作って、その後はまあ語学を使って就職できればいいなあ・・・という彼の考えが言葉からにじみ出ていた。 

でも目標あった方が、自分にとって後々楽になるぞ?と思い少し話を突っ込むと、「分かりました、少し自分で考えます」との返信。それも彼の目標と同じように、言葉だけでの返事っていうのがあからさまに分かって少しイラっとした。
彼と話をしたのが午前中だったんですが、その午後もなぜかイライラが続いていた。タクシーに乗って運転手さんに話かけられてもイライラが続いているので、話かけられてもイエかノーしか返さないレベル(すごい感じ悪かったと思います、運転手のホルヘさんごめんない)
なんで今日こんなにイラつくんだろうと考えると、今自分は彼にイラついてるんではなくて自分の返事にもやもやしている事に気づいた。つまらない大人になったなあと。

 

自分が最初の留学をしたとき、目的なんて正直何もなかった。二回目の留学も、今持っている理由なんて後付けで一番大きな理由は「中南米が好きだから」のそれだけだった。会社を辞めて留学の話をすれば必ず周りの人たちには理由を聞かれ、「好きだから行きたい」なんてのは理由にはならない、行くからには目標を持てと散々言われた。
今思い返せばそのアドバイスは的確で、後の自分を助ける要素になったのだけど、その当時は「好きだから行くで何が悪いのよ!!!」なんて思っていたし、心許せる友人に何でやりたい事にいちいち目標が必要なのかなんて愚痴ったりもしていた。今の彼は、少し前の私と同じ。

大人になると、下の人へ自分の経験談を教えたがる。失敗してほしくないから。でも、相談をしているのは現実的なアドバイスを欲しいんじゃなくて、ただ一言「がんばれ」って言葉が欲しいんだよね。 

それに気づけた自分は今きっと大人と子供の境目。
気付けなくなるときなんて来なければいい。

気付いたら2月を半分過ぎていました

 

気付いたら2月を半分過ぎました。

日本では桜をモチーフとしたお菓子が販売され始め、
春をイメージする頃でしょうか。

メキシコは、昼間はもうみんな半袖を切る季節です。
グアテマラを含めると、日本を発ってから一年が発ち
季節も含めすべて初めてだったのが、一周し毎日が非日常から日常となりました。
(メキシコだと初めてだけどね)

あれだけ憧れていた中米生活が日常になってきている驚き。
こちらで仕事を始めて半年が経ちましたが、感じる事も日本で働いてたときと同じ事が増えてきて(上司がうざいとかね)、人間どこにいっても自分次第だなあと思います。

よく「海外に行くときは目標が必要だ!!」なんて言葉を聞きますが
本当にその通りだと最近実感する事が多く。ある程度自分で生活の基盤が築けて、生活も不自由しなくなると思うことは日本と一緒。

海外に行ったら自分を変えられるなんて思う人は、ただの甘えだよ。

 

今日も暑い。ヒートテック、ミスだった。

 

9カ月が経ちました

 

こんばんは、お久しぶりです。
中米に来てから9カ月経ちました。と、ブログを始めてからは二年経っています。
(内容がしょうがないものばかりで、未公開のものばかりですが)

今までは自分が感じた事をつらつら書いているだけ、そして見返すと無駄に意識が高い系の内容が多かったので公開する気はなかったのですが、誰かに見てもらう&記事を書くことで日本語力を上げる練習になるかなと。ザ単純。
というのも、インスタではちょこっと書きましたがある海外情報サイトさんで記事を書かせて頂く事になりました。この間初めて提出をしたところ、日本語がひどすぎて約半分が添削されているという結果…!!これはひどすぎる…!という経緯です。
書いていく内容も海外系の記事が多く、恐らく好き嫌いが分かれる内容だと思いますので興味のある方は読んで頂けたら幸いです。有難うございます。

そして題名の通り、中米に来て9カ月が経ちました。
中米グアテマラで5カ月留学をした後、現在はメキシコの日系企業で働いています。
思うこと、考えたこと、感じた事はたくさんありますが、根本的な部分は何も変わってないです。やっぱりタコスより焼き鳥が食べたいし、テキーラよりもハイボールの方が好き。学生時代、留学をしていたとき「25才が女性の一番魅力的な年だよね!!」なんて友人と声高々に話していましたが、あの時から何も変化はありません。学生時代の自分に言いたい、5年後も何も変わってないぞ、と。ただ学生時代に夢見た地域に、5年後に住んでいて、周りの人に助けられながらなんとか生活できてるよ、とも言ってあげたい。

わーいお仕事決まりました

2017年の始めに、今年はこっちで仕事を見つけるのが目標と書きましたが、
それが2017年の前半に現実となりました。わーい。うれしい。
ビザ手続き完了次第、メキシコの日系企業で日西中の通訳として働きます。

メキシコの就労ビザは手続きに時間がかかると聞いていたのですが
なんと、先ほど働く予定の会社から手続きが終了したとの連絡がありました。
あとはグアテマラのメキシコ大使館で面接を受けてこいと。
正直、語学力が不安でしょうがないですがやるしかないので頑張ります。

良いタイミングなので、2017年上半期を振り返ります。
と思ったのですが、スペイン語、の一言でした。

晴れの日も雨の日も風の日も勉強勉強勉強勉強。1日12時間。
上海留学中とは本当に真逆の引きこもり生活を送っていました。
お酒を飲むのも月1と決めていました為、おかげで相当弱くなりました。
日本の飲み友たちよ、もう一緒に飲めないと思う。ごめんなさい。

先生にもかなり助けられ、5ヵ月間でなんとか今のレベルになれました。
まだまだこれからが始まりですが、もう本当に有難うございます、の一言です。
感謝ばかりです。

今回仕事をするという事に関しても、ポジティブとネガティブな意見を両方もらいましたが、どちらも正しいと思っています。
リスクに備える事は大切ですが、心配ばかりしていては動けなくなってしまうので、ひとまず進んでみます。それでだめだったらまた考えます。

色々思ったことはありましたが、ひとまず、進みます。
2017年後半の目標・・・!引っ越し先で友達50人作る!!!
これ難しいな!!(笑)

言わずにわかってもらえると思うな/ラテンアメリカ圏から学ぶべきところ

今中米に住んでいて、生まれも育ちも日本なわたしは
こっちに住んでいると褒める表現がダイレクトすぎて、
びびることが多いです。びびるというか反応に困るというか。

例えば新しい服を買ったとします。着ます。
いつもの道を歩いて、学校に行きます。
その際に近所のおばさんや友達、先生に会ったりします。
そうするとほぼ全員に言われます。
「新しい服買ったの??似合うね~!!!」
「きれいなあざやかな色だから顔が明るく見えるよ」
「どこで買ったの???良い買い物したね、似合う」

先ほども書いたように私はTHE日本人ですので
こっちの文化に慣れる事は一生ないでしょう。
これから褒められた時も、ずっと苦笑いをして過ごすのだと思います。

今日書きたいのは中米の文化が素晴らしいよ!!!ってことではなくて
人に好意を伝える事が人間関係を円滑にするんじゃないか、ということです。
海外かぶれの記事と言われればそれまでですので、気分を害した方はスルーして頂くようお願いします。

一般的に日本人は直接言葉にして伝える事が苦手な民族と、
世界的に評されています。また日本では「空気を読む」ということで
コミュニケーションをとる世界でも数少ない国です。
※他国でも様々なコミュニケーションの仕方があると思いますが、
 私は日本しか分かりませんので、上記のような書き方をしています。

私はこの日本の「空気を読む」文化は素晴らしいと思っています。
人によると言えばそれで終しまいですが、他国の人と触れ合う機会が多い身として思うのは、やはり日本人はコミュニケーション能力に長けている人が多いです。
相手が嫌そうな顔をしていれば話題を変える、話に入れない人がいれば話題を振るなど、やはり無意識的に周りを見ながら会話している人が多いと感じます。

言葉にして直接気持ちを伝えることは、相手から反応がダイレクトで返ってきますで、リスキーでもあります。
自分を賛成してくれる意見もあれば、反対の意見が返ってくる可能性もある。
意思を伝える為の時間は削減できるが、自分が傷つく可能性もあるわけです。

反対に空気を読むことはどうでしょうか。
会話をしている相手の表情や顔つきを見てなんとなく相手の気持ちを察することはできますが、はっきりとした気持ちは分かりません。
例えば、相手がこちらに好意をもってくれてたとしてもはっきりとはわかりません。
相手がこちらに悪意をもっていたとしてもはっきりとはわかりません。

直接反応が返ってくるわけではないので、相手の気持ちを察する為に時間や気力を使います。
大多数の日本人は無意識的にやっていることですが、要するに、疲れるわけです。
ですが人間、自分のしたことは見返りがほしいのが当たり前。
「こっちはそっちの気持ちを読むためにと頑張ったのに、なんでそっちはこっちの気持ちを読んでくれないの。察してよ」
無意識のうちにコミュニケーショのなかで相手に期待をしていて、
その期待に応えられない人がいわゆる「KY」。
今では聞かなくなりましたが、そんな造語もありましたね。

「空気を読む」ことが美徳とされている日本の文化、
コミュニケーションに時間がかかるので、
人間関係に深みがでるのにも時間がかかります。

人生、時間は有限です。限りなくあるわけではありません。

では時間をかけずに深い人間関係を作るにはどうしたら良いのか。
人間、当たり前のことですが自分は変えられても他人は変えられません。
「わたしの気持ち読んでよ!」そう思っている人に直接言葉あなたの気持ちを教えてよ、とお願いしてもなかなか難しいです。

私の過去の話になりますが、学生時代に留学していたときの話です。

まだ自分がかわいくてしょうがなかった私は、ひたすら話かけられるのを待っていました。案の定、誰も話しかけてくれませんでした。
大して語学も知識もない、話しても面白くないやつに話かけるはずもありません。
じゃあどうしたら興味を持ってもらえるか。ここからはよくある留学苦労話です。
がんがん話かけてみました。仲良くしたい事を伝えてみました。
そうしたら、意外にもみんな拒否せず応えてくれました。

 

人に感謝と好意を惜しみもなく伝える事。
こちらに来て学べた一つの事だと思います。
実践するのが難しいんだけどね。

2016を振り返る

ついにきました、中南米。現在はグアテマラにおります。
ついに、ようやく。
大学入ったころから、中南米に惹かれ行く行く散々大きな大きな声で言ってきて、早5年。
時間はかかりましたが、結局は来れたので今がタイミングだったのかな、とも思ったり。

2016年、とにかく動いた年でした。
大好きだったシェアハウスを出て、学校に通い始め、世田谷に一人暮らしも始め、 3年間お世話になった会社を退職し、昔から憧れていた中南米に飛び立ちました。
また一人暮らしをしてから、悩み悩み悩み悩み。
この選択が正解なのか不正解なのかは今でも分からないけど、
間違いないのはこの選択を、自分で正解にしていくという事。

この3年間で、たくさんのものを得ました。
得たものは確かに全て大切で、間違いなく自分の中の大切な経験で
でもその中で何を大切にするのか、見極める事がきっと大切。
全てを大切にしていたらキャパオーバー。 選ぶことと、捨てること。
何かを選べば何かを捨てなきゃいけない、 よく言われる言葉だけど、その意味がようやく分かった。

自分が大切にしたいものは、自分で選び 手に入れたいものは自分からつかんでいく。

先日友達とラインをしていて、言われた言葉。
「何かが終わるってことは、何かが始まるってことだね!」 素敵。頑張ります。

Happy new year from Guatemale!!!
人生、全ては自分次第! 2017年はこっちで仕事とるのが目標です。

今年以上に、幸せな年になりますように。

時間の使い方-消耗する時間と蓄積する時間

「消耗」の対義語は「蓄積」になるのね。

今日は時間の使い方について、私なりに考えた事を書きたいと思います。

 

日々忙しく働いていると、良い悪い抜きにして、なんとなくの時間を過ごしがちだと思います。

一般的には、平日は仕事に費やし、休日は家族や恋人・友人と過ごす人もいれば趣味に費やす人もいて、一日を寝て過ごす人もいる。大多数の人はどれかに当てはまるのだと思う。

 

私の過去を振り返ると、会社に勤めてこの二年半、休日は圧倒的に寝て過ごす日のほうが多かった。新卒で世間で言われる大手企業に入社したものの、若手が早期退職し働き盛りの20代~30代が少ない所謂ブラック企業に勤めていたので、仕事についていく事に必死だった。平日のダメージを休日に回復し、月曜日からまた必死に働く。まあブラックやらホワイト企業に関わらず、新卒社会人の過ごし方は一般的にこんな感じだと思います。生活の為に仕事をしているはずなのに、いつの間にか逆転し仕事をする為に生活をしている。よくある話。

 

そんな生活を二年程過ごし、だんだん仕事にも慣れてきて、日々にも余裕が出てくる。ここで恐らくみんなが思う疑問。「さて、空いている時間どう過ごそう?」

自分も同じように思ったし、きっと周りの友人も同じで、平日の夜や休日の誘いが社会人三年目になった頃から急激に増えた。会って、おいしいご飯を食べて、互いの直近の報告や友人や恋人の話題、仕事の愚痴。気兼ねなく友人と話せるのは楽しい。色々な友人と会って、価値観を広げるのも素敵。でも、お互いの時間があることもあり二回目三回目と会うと毎回、話が同じな事に気付く。あれ、お互い何も変わってなくない?と。

 

違和感を感じたのは、なんとなくSNSを眺めている時だった。大学時代の友人がアップしていた写真に、同じ大学の子が写っていた。その写真に写っていた子は、そんな仲良かったか?ぐらいの子。その時は卒業してから仲良くなったのか~ぐらいに思い気にもしてなかったが、その子のアップした写真を見てみると大学の子がたくさん。おおおおすごいなあ、日々仕事しているのにこんな友達と会えてキャパあるな~私にはないな~と思っていた頃、その友人から連絡がきた。「今週の土曜日暇なんだけど、空いてない?」ああ、こういう事か。会いたいから時間を空けるのではなくて、時間が空いているから会うのだと。なるほど。会うと、前回と変わらない話。恐らく、私以外とも同じ話をしているんだろうな。私がいえる身分でもないが、この子と会うのは年に一回でいいと感じた。

人と会うのは、確かに安心する。同じ状況の人に会ってああ悩んでるのは自分だけじゃないのだと安堵感を覚える。でも話しただけじゃ、明日は変わらない。

 

人生ってきっと短い。きっとと書いたのは人によって感じ方が違うから。時間の過ごし方によって、時間の体感速度は違う。

過去、仕事漬けだった日々は何もかもが初めてだった。分からない事だらけで、日々過ごす事に必死だった。だからこそ、時間の流れもとても早かった。でも、今後生きていく中で「初めて」はどんどん減っていく。経験があるからこそ、自分で選んでいかなきゃいけない。生き方も、日々の時間の過ごし方も。何かを選べば何かを捨てなきゃいけない。選ぶことって難しい。

 

自分で時間の過ごし方を選んで、明日が変わらない消耗する時間と、少しでも変わるかもしれない自分の中で蓄積する時間をバランス良く過ごす事。人間ってきっと両方必要。

何より、蓄積する時間って人によって違うから難しい。それをきちんと自分の中で見つけられたら、所謂「生きがい」になるのかね。